またあの夏がやってくる
今年も7月6日がやってくる。
何の日かというと「劇場版 銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」が公開された日。
アニメや漫画に全く興味がない人からするとそれが何だという感想しか出てこないと思うが、生粋の銀魂ファンからすると、とても意味のある日だ。
そもそも銀魂の劇場版アニメというのはとても少ない。
連載開始から6年ほど経ち、満を持して叶った1作目の「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」2作目の完結篇。
ワンピースやNARUTOなど、ジャンプの大御所漫画だと毎年の風物詩的に劇場版が公開されていたが、銀魂だと、現在はこの2作だけ。
1作目の新訳紅桜篇は、原作ファンからも人気が高い長編「紅桜篇」に、別視点を加えたもので、とにかくアクションのド派手さ、主人公・坂田銀時と、その旧友である桂小太郎、宿敵となったかつての仲間・高杉晋助との戦いのままならなさ、銀魂アニメを物語る上で欠かせないロックバンド・DOESによる主題歌が絶妙な味わいを見せる素晴らしい作品だった。
そんな新訳紅桜篇から3年経った2013年7月6日、完結篇は上映された。
なにしろ前作から3年経つわけで、正直2作目が発表されたときは意外というか、まさかこのタイミングで……という感想だった。
しかも「完結篇」と銘打たれたタイトル、発表されたときはただただ心がざわついたのを覚えている。
完結篇のビジュアルや情報は小出しに出されたが、とにかくファンが驚いたのは、メインキャラクターたちの変貌だと思う。
常に活気あふれた街「かぶき町」は寂れ荒れすさび、
江戸を守る警察・真選組の幹部、近藤勲・土方十四郎・沖田総悟は隊服を脱ぎ、
原作の時点ではまだ16歳の少年だった新八と、14歳の少女である神楽が、5年の歳月を経てすっかり大人の男性・女性に成長したビジュアルは、かなりの衝撃だった。
あくまで自分の記憶で言えば、 この前情報で
「攘夷戦争が再び起こり、幕府が転覆させられ、江戸が戦地になった」とかそういう、本当にもう貧しい想像しかできなかった。
が、実際はそんなありきたりな想像なんて簡単に超えられた内容だった。
完結篇の詳しい内容は、これを呼んでくれる奇特な人がいるならば実際に確かめてほしいし、銀魂ファンがここに辿りついたなら既に知っているだろうし、割愛します。
だけど自分は、あの映画をはじめて映画館で観たとき、なんだか家に帰りたくなくて、しばらく映画館でうろうろしたのを覚えている。
やるせなくて、その気持ちをどうしかしたいけどできないというような。
「なぜ漫画家になったか」という質問に対して
「漫画やアニメが終わると、取り残されるような気持ちになった。それは苦しいので自分が作る側になることにした、取り残される側よりは取り残す側になろうと思った」とかなりかいつまんだ形だが、そのような回答をしていた。
その回答を見たときはそういうものか、さすが創作する人の感覚は違うな、なんて感心していたけれど、完結篇を見て、映画館を出た後
「空知先生はたしかに取り残す側に立っているのだな」と実感した。
はっきりと、人の心をかき乱し、握って、わたしたちをこちら側に取り残していった。
完結篇が公開されてからもう5年が経つ。
それ以前の人生の方がはるかに長いはずなのに、蝉が鳴くたび、暑さに目をしかめるたび、あの映画館で覚えたやるせなさばかり思い出す。